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史探訪

長町は、かつて伊達藩を南北に通る、奥州街道の宿駅として栄えました。 この宿駅は、慶長17年(1612年)に伊達政宗により設けられました。 当時は、馬が物資を運び、旅人や旅籠が行き交っていたのかもしれません。また、二口・笹谷街道の分岐点でもありました。
現在でも、宿場町としての名残を伝える史跡、神社、仏閣、供養費などが残っています。
私達の長町1丁目商店街付近にある史跡をいくつかご紹介いたします。

常蔵院十八夜観音堂

十八夜観音堂
▲ 十八夜観音堂
欄干の擬宝珠には、江戸時代の銘が残っています。
▲欄干の擬宝珠には、江戸時代の銘が残っています。

広瀬橋からほど近く、サニーランドの裏手に、常蔵院十八夜観音堂があり、仙台三十三観音信仰の第三十二番札所です。
当初のお堂は、もと鏡ヶ池の前から大年寺門へ通じる北側で、今も枝垂桜の老樹のある根岸(現在のロイヤルホストの近辺)にありました。
835(承和2)年に草創された修験の寺院で、 1064(康平7)年に茂ヶ崎(大年寺山)に再興され、伊達家の墓所として大年寺が建立されることとなったため、1695(元禄8)年に現在の場所に移転したものです。 現在のお堂は1789年に建てられたようで、欄干の擬宝珠(ぎぼし)には江戸時代の銘が残っています。
地元では「おかんのんさん」として親しまれ、旧暦の十八日の夜に月待ちの講が開かれ信仰の対象とされてきました。毎年5月3日には、地域商店街と町内会による祭典が催され、子供神輿が繰り出され賑わいます。

広瀬橋

広瀬橋
▲ 広瀬橋
広瀬橋
▲ 広瀬橋

広瀬橋の入口にある青い道路表示の看板に「日本で最初のコンクリート橋」とあります。
この広瀬橋が、長町と河原町の間をながれる広瀬川に橋が架けられたのは1668年(寛文8年)でした。仙台大橋が1601年(慶長6年)に架けられたのに次いで仙台で2番目に架けられたものです。当時、奥州大名の江戸への参勤交代で渡る専用の橋でしたが、大雨や川の氾濫により何度も壊れていたそうです。
その後、東京帝国大学教授廣井勇博士の指導で設計され、宮城県技師杉野茂吉の監修により、1909年(明治42年)に日本で最初の鉄筋コンクリート・桁式橋として完成し、それまでの「永(長)街橋」に変わって「広瀬橋」と命名されました。

橋姫伝説

愛姫明神社
▲ 愛姫明神社

広瀬橋を長町方面に渡って右側の橋のたもとに、橋姫明神社の小さな祠があります。昔、この地にはじめて橋を架けることになったときに雨が降り続いて川が氾濫し、これを鎮めるために、根岸の長者の一人娘「愛姫」が人柱になったという悲しい伝説があり、その愛姫を橋姫として祀ったものです。

二基の道標

二基の道表
▲ 二基の道表
二基の道標位置MAP
▲昭和40年代半ばころの様子
※画像をクリックすると拡大します。

仙台市街方面から長町方面に向かい、広瀬橋を渡っ交差点側に、右写真の左から、「多賀城神社道案内」その右に「門前道」と掘られた石造りの二基の道標があります。
この道標は、明治43年(1910年)に仙台商人の佐藤 半十郎、渡邊 勇作が建立したものです。
現在は広瀬橋を渡った長町側から根岸町方面へ広い道路が建設されていますが、昔は、仙台市街から西多賀方面に向かう際に、広瀬橋を渡り、この道標の前を折れて通過するようになっていました。そのために目印として設置されたものです。
また、この道標が設置されているちょっと変形した道路(升型道路)の形は、奥州街道仙台側最初の宿場であり、仙台城下の入口として重要地点でもあったため、進行速度を落とす為にわざと直角に2回曲げて作られていたという、藩政時代の名残でもあります。

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